【驚愕】平安時代の女性の化粧が怖すぎる!平安メイクの種類と全貌
平安時代の女性の化粧といえば白塗りに太い眉、見るからに現代とは違うそのメイクに
なぜそれを綺麗だと思ったんだ!?
と、女子としてはものすごく興味がわいてくる。
ということで、今回は平安時代の貴族の女性のメイク事情です。
平安時代の女性の化粧
今も昔も自分を綺麗に見せるために女性にとってなくてはならないのがメイク。
平安時代は「化粧(けそう)」と言われていました。
紫式部日記によると「顔つくり」ともいわれていたそうです。
で、
平安時代の女性の顔といえば平安絵巻で見る白塗りに極太眉というあの独特のお化粧なんですが・・・
と思わずにはいられないですよね。
そこで平安メイクについて調べてみたんですが、やっぱりあの化粧は平安時代独特のメイクだということがわかりました。
奈良時代と平安時代のメイクが全然違う
10年ひと昔、なんていうように現代でも10年前と今ではメイクの流行が全然違いますよね。
かつてはそれこそ「なぜそれを綺麗だと思った!?」と突っ込みたくなるようなガン黒ギャルメイクが流行った時期もあったわけで。
そんなわけで、
いつの時代もメイクの流行り廃りがあるわけですが、平安時代とそのひとつ前の奈良時代を比べてみるとお化粧の仕方が全然違っていました。
奈良時代といえば日本がまだ唐の影響をたっぷり受けていた時代。
なのでメイクも唐の美人像をお手本に弓なりの眉や、額や口元に星や花を描いたりするお化粧をしていました。
ところが、
平安時代になると遣唐使を廃止したりして唐の文化が入ってこなくなります。
唐の影響が薄らいでいくかわりにいろいろな分野で日本独自の文化が育つようになったんですね。
これがいわゆる「国風文化」(テストに出るやつ!)。
平安貴族の女性のメイクもその一つでした。
平安時代のお化粧は日本の平安貴族の趣向や感性にあうように日本独自のお化粧ができあがったものというわけです。
ちなみに、
平安初期の頃の資料はあまり残ってないそうなんですが、服なども平安時代のはじめの頃はまだ奈良時代と同じだったよう。
なので、私たちがイメージする平安メイクが出来上がったのは平安中期くらいかな?と推測されます。
平安時代の女性のメイク方法
そして出来上がったのがこういうお化粧なわけですが・・・
このメイクが美しいというのは現代人にはなかなか理解しがたいところがある。
というわけで、平安時代の女性がどんなお化粧をしていて、そのメイクにどんな効果があったのか一つずつ見ていきますね。
平安女性のメイクといえばまず白粉
平安時代の貴族の女性といばおしろいで真っ白に塗られた顔ですよね。
日常のほとんどを薄暗い部屋の中で過ごす平安貴族の女性は日に焼けることがないので、白い肌が美しさと高貴さの証でした。
平安時代の白粉は「白きもの」とよばれていて、お米、鉛、水銀などから作られていました。
それを水に溶いて顔に塗っていたそうです。
それにしても、ちょっと白すぎやしませんか??と思ってしまうんですが、その理由を語りだすと長くなるので・・・
平安時代の白粉について詳しくはこちらにまとめました↓
平安時代の女性の眉毛
平安時代の女性のお化粧といえばなんといってもあの不自然な位置に描かれた太い眉!
この眉を「引き眉」や「殿上眉」といいます。
地眉は抜いて白粉を塗り、おでこの高い位置に眉墨で描いていました。
平安時代の絵巻の女性を見ていると眉の形が2つあります。
一つは柳の葉のようにすっとまっすぐのびた太い眉。
もう一つはいわゆる「公家眉毛」のイメージの長円形の眉です。
平安メイクを調べてみると、これはどっちが正解ということもなく、どっちもあったのかなぁという印象。
でも昔の絵を見ているとゴン太のまっすぐの眉のが多い気もします。
で、気になるのは「なんでこんな眉毛にしていたのか?」ということなんですが、
平安時代の貴族には
「感情をそのまま表に出すのはよくない」
という意識があったそうで、それが眉毛にも影響しています。
なんてったって眉はちょっとの気持ちの変化でもものすごく動いてしまうパーツ。
そこで元の眉をなくして、かわりにほとんど動かない額の高い位置に眉を描きました。
平安貴族からすると眉が動かないことで
鷹揚さとか穏やかさが表現できて高貴な雰囲気に感じられるそうです。
平安時代の女性のお歯黒
お歯黒も現代人からするとかなり強烈ですよね。
平安時代の高貴な女性はみんな歯を黒く染めてお歯黒をしてました。
歯を黒くすることで
小さな口元を強調して、顔を柔和に見せる効果があったんだとか。
さらに、お歯黒には虫歯予防や歯の変色を隠すという実用的な意味もあったそうです。
平安貴族の女性のお歯黒について調べてみたら材料や染め方など意外なほど詳しくわかったのでこちらにまとめました↓
平安メイクに欠かせない紅
そしてもう一つ、平安時代のお化粧になくてはならなかったのが紅です。
紅は紅花の花びらを搾って、そこに梅酢を加えて乾燥させて作ったそう。
唇に塗る口紅と、頬に塗る頬紅がありました。
頬紅は「面紅」ともいわれていて、白粉と紅を混ぜて使ったそうです。
なので真っ赤というよりはピンク色なんじゃないかと。
今のメイクでもチークを大きく濃く入れすぎるとおかしな顔になりますが、平安時代も頬紅を赤々と塗るのは品位に書けると思われていたらしい。
平安時代の女性のお化粧は白粉の白、眉と歯の黒、そして紅の赤の3色でメイクアップするのが特徴です。
平安貴族の女性が化粧をする意味
平安時代の女性のお化粧には顔を綺麗に見せるためのおしゃれとは別に他にも大事な意味がありました。
平安貴族の女子は十代前半くらいの年頃になると「裳着(もぎ)」という儀式をします。
裳着は平安時代の正装である十二単を着る時につける裳を初めてつける日で、今でいう成人式のようなものです。
なので、裳着を済ませると結婚ができるようになり、大人の女性ということになりました。
そして、裳着を済ませると平安時代の女性は日常的にお化粧をするようになりました。
平安時代は身分や階級、年齢によっていろいろな約束事や装いが決められていて、お化粧もその一つ。
なので、「女子のお化粧はこうあるべき」という決まりがあるので、現代のメイクのようにそれぞれの美しさや個性を発揮することはできません。
もちろん綺麗に見せるためでもあるけれど、それ以上に決まり、たしなみといった面が大きかったようです。
平安時代の女性の化粧まとめ
白塗りにした肌は薄暗い部屋で見たらきれいに見える、ともいわれるけど・・・
うーん、現代人からすると蝋燭のあかりであの顔をみたらだいぶホラーな気がしてしまう。
平安時代の女性の化粧はその当時の貴族文化や価値観をわかってないとなかなか理解しがたいメイクです。
それにしても、平安メイクはだいぶ厚塗りにしてたようなんだけど、夏とか汗で落ちなかったんだろうか?
ということで、平安時代のメイク落ちや洗顔についても調べてみました↓
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