平安時代の暮らし

平安時代のトイレは?臭いがやばい貴族の家のトイレ事情!


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平安時代 トイレ

前回は平安時代のお風呂事情についてお話しました

現代人の感覚ではこの入浴の仕方ではまず体はきれいにならない・・・。

トイレに行った後によっぽどきれいにしてたのか?

ってか、そもそも平安時代のトイレってどうなってたんだろう?

ということで、今回は平安時代のトイレのお話です。

平安時代のトイレ事情

現代の水洗トイレだってちょっと掃除をサボればあっという間に臭く汚くなっていくわけで。

私が子どもの頃は田舎に行くと汲み取り式のぼっとん便所という物がまだわずかに残ってたけど、それだって現代人には耐え難い臭さ!

1,000年も昔の平安時代、トイレはどうしていたんだろう?

調べてみると、平安時代のトイレには結構いろいろな説が出てきました。

「平安時代のトイレ」といっても身分や男女、家なのか職場なのか街中なのかでも若干事情が違ったようです。

平安時代のトイレ①樋箱

平安時代のトイレとしてまずよく出てくるのが「樋箱(ひばこ)」とよばれるポータブルトイレ。

今でいう「おまる」のようなもので、使う時に部屋に持ってきました。

樋箱は木でできた箱で、引き出しのように中が取り出せるようになっています。

そこに砂や灰を敷いて、上の蓋をとって樋箱にまたがって用を足します。

トレイが終わると「樋洗(ひすまし)」という身分の低いトイレ係の人が片づけをして、中身がいっぱいになると川とか排泄物の捨て場に捨てにいくそう。

樋箱は庶民でも使っている人はいたようだけど、当然、貧しい庶民の家にはトイレ係はいないので自分たちで片付けます。

役所など男性貴族の仕事場では樋箱を使うスペースが決まっていたみたいです。

平安時代のトイレ②汲み取り式

平安時代には地面に穴を掘って便を汲み取るトイレもあったといわれています。

あった、とはいわれているんだけど私はあまり情報を見つけられず・・・。

奈良時代や飛鳥時代にはすでにあったみたいだから、平安時代にもあったとは思うんですけど。

ちなみに、平安時代の庶民たちは道端で用を足すことも多かったみたい。

途中から「用を足すのはここで!」とトイレらしき場所が定められてそこで用を足すようになるんですが・・・。

穴はなく、地面のそこかしこにウンチが散らばる中でみんな高下駄を履いて用を足したんだとか。

それが後々、穴を掘っての汲み取り式になったのか?

平安時代のトレイ③水洗式

まさか平安時代に水洗トイレがあったとは!

平安時代の水洗トイレは貴族の屋敷の敷地内に小川などから水を引き込んで水路を作り、そこに足を乗せる2枚の板をおいたり、穴をあけた板をおいてトイレにしたそうです。

家の外に作るので雨が降っても大丈夫なように屋根をつけたので「川屋」とよばれて、それが「(かわや)」の語源になったんだとか。

平安時代より前の奈良時代の都にはすでに水洗トイレがあったといわれています。

あと、川の近くには庶民用の川屋もあったらしい。

平安時代の貴族の女性のトイレ

と、平安時代のトイレは調べるといろいろ出てくるし、

平安時代に水洗トイレがあったなんて

最高じゃん!!

と思ったんですが、よくよく考えてみるとやっぱり貴族だからといってみんながそれを使えたわけではないと思うんですよね。

特に女性は当時の水洗トイレは使えなかったんじゃないかと。

だって、平安時代の高貴なお姫さまは人に顔を見せちゃいけないんです。

それどころか立って歩いている姿すら人に見せるのはみっともないと思っていた時代。

わざわざ用を足すために屋外に出てトイレに向かっただろうか・・・?

あの長い着物や袴を引きずって?

いかないだろうなぁと。

いろいろ調べる中で平安貴族の女性のトイレに関してはやっぱり部屋の中で用を足せる樋箱の話が多い。

ので、平安貴族ガールズのトイレは樋箱が有力です。

で、平安時代の貴族の家の中には一応、用を足すスペースはあったよう。

でも、そこは今みたいな壁で区切られた小さな個室ではなく、大きな部屋の中の一角を几帳、衝立、屏風、御簾等などで仕切り、畳を置いたスペースだったみたい。

そこに樋箱をその都度持ってきて用を足すと。

それにしても、

いくら部屋の中とはいえ平安貴族の女性の着物じゃトイレに入るのも大変そうですよね。

平安レディのふだん着の袿でも丈の長いものが多いし、小袿だったらかさ張る。

となると、セレモニーで十二単なんか着てる時に

「ちょっとトレイに・・・」

なんてなったら、もうほんと、一大事なんじゃないかと。

ちなみに、平安時代のお姫さまがトイレに行く時は侍女がお手伝いをしてくれて着物の裾を持ち上げたりしてくれたそう。

なので、いちいち着ているものを脱いだりはしなかったみたい。

引きずるほど長いあの袴にどうやって樋箱を入れたんだろう・・・?

平安時代のトイレで紙は使ってた?

でもさぁ、着てるものの下に樋箱をすっと差し込んで用を足すってなるとさぁ・・・

絶対、着物にはねてるよね?

しかも用を足した後ってどうするんだろう?

平安時代はまだ紙は高価で貴重品

だから紙でお尻を拭いてたってことはないはず。

平安女子はショーツなんかもはいてなかったようだから・・・袴が汚れるんじゃ・・・?

布とかで拭いてもらえたんだろうか?

このあたりがまだ私のなかで定かではない。

どちらにしても、その状態でろくにお風呂にも入れないとなると・・・

やっぱり相当臭いよね!?!

ちなみに、平安時代の貴族の家は寝殿造りといってドーンと広いワンフロアを屏風や几帳で区切って使っていました。

もちろんトイレもその中、しかも、樋洗(ひすまし)が排泄物を捨てにいくのは用を足すたびごとではなかったようだから・・・

平安時代の貴族の家は

かなり臭かったらしい!?

だから服にもお香を焚き染めるし、お部屋の中にもお香の匂いを充満させるのは必須!

って、本当にそれでごまかせてたんだろうか・・・?

現代人が突然、平安時代にタイムスリップしたらまず臭いに耐えられない気がするぞ。

平安時代のトイレの紙のかわりはこれ

小便はよくわからんのですが、大便をした時はお尻を拭くための木のヘラがあったそうです。

ちゅう木」とか「糞べら」とよばれていて、いらなくなった木簡で作ったものや、貧しい庶民だとそこらへんの木の枝を削って作ったんだとか。

この「ちゅう木」は平安時代よりはるかに昔の飛鳥時代の遺跡からも発掘されてるそうですよ。

平安時代のトイレまとめ

嘘か真か、平安時代のお嬢様たちは侍女に着物を持ち上げてもらい、樋箱を差し込んでもらって、扇で顔を隠しながら用を足したとか・・・。

うーん、知れば知るほど平安時代で暮らす自信がなくなってくる笑。

そして臭い問題ね。

いったいどれくらいお香を焚いたら悪臭が気にならないくらいになるんだろう??

ということで、次回は平安時代のお香についてです


コメントは2件です

  1. 君がいた夏は遠い夢の中空に消えて得た打ち上げ花火 より:

    平安時代の人は臭かったんですね

    • 小町 より:

      君がいた夏は遠い夢の中空に消えて得た打ち上げ花火さん

      コメントありがとうございます。

      そうですね、現代人の感覚でいったら、相当臭かったのではないかと思います^^;

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小町です
子どもの頃から「平安美人」と言われ続けてきた私が自分なりに調べたり、足を運んだり、体験してみたりしてわかった平安時代のあれこれを綴ってます
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