平安時代の髪の長さに驚愕!白髪や髪の薄い女性はどうしてた?
前回は平安美人の条件についてお話しました↓
中でも平安時代の美人の絶対条件といわれたのが艶のある長い黒髪です。
確かに、平安絵巻に描かれている貴族の女性といえば床にひきずるほど長い髪が印象的。
実際のところ平安時代の女性たちの髪の長さはどれくらいだったのか?
気になりますよね。
ということで、今回は平安女子の髪の長さと悩みについてお話しますね~。
平安時代の女性の髪の長さは?
平安時代の貴族の女性は「垂髪(すいはつ)」といって、読んで字のごとく長い髪をそのまま垂らした髪型をしていました。
平安絵巻でよく見る着物の丈より長く床に引きずるようなあのヘアースタイルです。
ちなみに、日本で女性が髪を結うようになったのは江戸時代に入ってからと言われています。
で、平安時代の女の人の髪が長いのはイメージとしてもわかるんだけど、気になるのは
ってことですよね。
調べてみると、
平安時代の女性の平均身長は140~150cmくらいだったそうなので、貴族の女性たちの髪はゆうに1m以上あったことになります。
で、その長さもすごいんだけど、女子としてはもう一つ気になることがある。
髪って、実は重いですよね?
美容師さんに聞いてみたんですけど、ヘアカットした時に出る30cmの髪の束の重さは髪質による個人差は多少あるけどだいたい300gくらいとのこと。
ってことは、もし髪が150cmあったら平安時代の髪の重さは・・・
平安時代の驚きの髪の長さ
ただ、1m強という髪の長さはあくまで平安貴族女性の髪の長さの平均なので、中にはもっともっと長い髪の女性もいました。
嘘かほんとか、平安貴族の女子の中には髪の長さが7~8mもある超スーパーロングヘアーの人がいたんだとか!
さすがにこれはちょっと話盛りすぎでは??と現代人の私は思ってしまうのだけど、実はそれを裏付けるようなこんなお話が「大鏡」の中に残っているんです。
とのこと。芳子(ほうし)さまが帝のところに向かうために牛車に乗ったところ、体は車の中に入っているのに髪の先はまだ母屋の柱のところにあった
芳子さんというのは村上天皇の奥さん。
かなりの美人で平安美女の絶対条件である黒く艶のある長い髪も見事だったといいます。
ちなみに平安時代の貴族の住まいのつくりを超ざっくりいうとこうなってます↓
仮に簀子と廂がそれぞれ1m+芳子さんの身の丈と考えて短く見積もってみても芳子さんの髪の長さは約4m。
しかも、簀子と廂が幅1mだと人とすれ違えないし、天皇の奥さんになるくらいの上流のお姫様のお家なのでもっと広いと考えると・・・
もしかしたら7mくらいあるかもしれない。
高貴なお方がより映えるように忖度して話が盛られてる可能性は無きにしも非ずだけど・・・。
でもそれくらい平安女性にとって髪の長さが重要で、もしかしたら7~8mの長髪の人もいたのかもとうかがわせるエピソードです。
ただ、やっぱりそこまでの超スーパーロングヘアーの女性がゴロゴロいたかというとそうでもないようで。
髪をここまで驚きの長さにできたのは身の回りのことをすべて人がやってくれる皇室や貴族の中でも超上流階級のお嬢様だけだったようです。
平安時代の髪の毛の悩み
さて、実はこの「艶のある黒髪ロング」という美人の条件に平安美人と言われ続けてきた私は結構なショックを受けている。
なぜかって?
私の髪は細くて柔らかくて量が少ない猫っ毛で雨が降るとうねる、しかも地毛の色が焦げ茶色、光にあたると栗色にも見えるくらい茶髪ヘアーだから!
長い黒髪が良いんだろうとは思ってたけど、たっぷりの黒髪ロングが絶対条件だなんて・・・。
悲しすぎる!
と、心で泣いているわけですが・・・そう思っているのは私だけではないはず。
私に限らず、平安時代の女性にもくせ毛の悩みを持ってる人って絶対いただろうなと。
探してみると、有名なところだと清少納言はあまり髪質がよくなかったそう。
じゃあそういう平安女性たちはどうしていたのか?
なんと!
かつらやウィッグを使っていたとのこと!
そう、平安時代にもそういうヘアアイテムがあったんですよ。
「かもじ」とよばれるもので現代でいうとかつら、ウィッグ、エクステみたいなものらしい。
しかし時は平安時代。
当然ですが人工的に髪の毛なんて作れません。
つまり「かもじ」に使われるのは人毛です。
え?人毛のほうが質の良いウィッグになるんじゃない?と現代人の感覚としては思ってしまうけど・・・。
平安時代の「かもじ」に使われた人毛は死んだ人の髪の毛っていわれてます。
当然、トリートメントや薬剤加工なんてされてないよね・・・。
そういえば芥川龍之介の「羅生門」の冒頭にそういうシーンがありますよね。
って、中学の教科書にあったなぁ。羅生門の二階に人の気配を感じて上がってみると身寄りのない死体がいくつも転がっていて、松明を灯した老婆が若い女の遺体から髪を引き抜いている・・・
「この髪をかつらにするために売ります」って先生がいった時は
と思ったけど、そうか、こういうことかと今腑に落ちましたわ。
ちなみに、清少納言は
「私は自分の毛じゃないものをつけているせいか髪がちぢれて」
というようなことを枕草子の中で書いています。
清少納言は髪が薄かったので今でいうウィッグをつけるようにして髪を足していたそう。
でも、やっぱり品質はイマイチだったことがうかがえる。
現代人の感覚からするとかなり微妙な当時の「かもじ」なんですが、もし私が平安貴族ガールだったとしたら・・・。
きっと金にものをいわせて爆買いしてたことでしょう。
あと、髪の色については平安時代から髪を染めるという習慣はあったようです。
「炭を使って白髪を黒く染めていた」と平家物語の中に書かれています。
黒々とした髪は若さを感じさせるとともに、髪の黒さで顔やお肌の白さを強調していたそうです。
平安時代の貴族女性の髪の長さまとめ
というわけで、平安女子にとってはまさに「髪は女の命」だったわけですね。
量がたっぷりの長い髪で、さらに黒くて艶がある髪じゃないといけないということなので髪のお手入れにも気をつかっていたとのこと。
女子としては当然、平安時代のヘアケア用品ってなんだったんだろう?って気になりますよね。
ということで、次回は平安時代の髪の手入れについてお話しますね↓
岡山で美容材料の卸をしているスミダヤと申します(https://jasbec.co.jp/)。
最近美容ブログを更新し始めて、次は何の話題にしようかと考えていたところです。
で、ロングヘアを艶やかな黒髪で維持するのは相当大変だろう…
時代劇で見るお姫様たちの黒髪はどうなっているのか、幻想?憧れ?
と、気になっていたところ、こんな素敵なブログを発見し、思わずコメントさせてもらいました。本で探しても全然なくて。牛乳噴き出してる絵、笑えました。
最近、びじゅチューンで「焔のお習字教室」(六条御息所の絵が題材https://www.youtube.com/watch?v=kmPnUtteRks)を見ました。藤の花と蜘蛛の巣というめっちゃ気持ちの悪い柄の着物を着ているのですが、髪の毛が広がっているんです。パサパサ。そりゃ荒れるわな~、こんだけ長いと…でも、あんまり洗髪をしなかったら、何とかなるもんだろうか?油かなんかつけまくり?しんど…と思っていたのですが、死んだ人の髪の毛をカツラにしていたんですね。羅生門読んだときは気が付かなかったな~。そりゃそうだよな~。人工毛なんてないし。引くわ~。
当時のお手入れ方法とニオイについての記事も読ませてもらいますね。そりゃ~ニオイは相当なものだったろうな~(笑)
(株)スミダヤ広報 さん
こういう話がまとまった本ってなかなかないですよね。
私もいろんなところからちょこちょこ見つけ出しました。
あくまで私が見つけた情報、見かけた情報なので正確性は保証できませんが。
びじゅチューン、こんな番組があるんですね。知らなかった。
藤の花と蜘蛛の巣の着物、きっと六条御息所は絶対着ないと思うけど、イメージとしては確かにこれが似合うくらい執念深そう・・・
羅生門とか、今の時代まで残っていて授業とか紹介される作品は大人になって読むとやっぱりそれだけの価値があると気づけますね。
コメントありがとうございました。
初めまして。平安時代の髪の毛について検索していて辿り着きました。大変興味深い記事だったのでコメントさせて頂きます。
人間の髪の毛が7mも伸びるのかと言うのは少々疑問に感じます。継ぎ足していたのではないかと想像。
1m位が相場ではないだろうか?と思わず散髪しない自分の髪の長さを測ってみたら約1mでした。
レイさん
コメントありがとうございます。
そうですね7mって現実的に考えるとなさそうですよね。それくらい、平安貴族の女性にとって髪の長さや美しさが大切に思われていたってことですね。きっとかもじとか、つけ足していたと思います^^