平安時代の貴族の家には壁がない!?屋外と部屋を区切るのはこれだけ
前回は平安貴族の邸宅の全体像を見てみました↓
で、これだけ大きなお屋敷なので一つ一つの建物も大きいわけです。
となると、その部屋の中はどうなっていたのかな?と気になりますよね。
そこで今回は平安貴族のお部屋事情についてです。
平安時代の貴族の家のつくり
平安時代の上流貴族の家は敷地の中に野球場が作れるくらいの超超超大豪邸なので、当然、1つ1つの建物も大きいです。
いったいその部屋の中はどうなっていたのか?ということで、今回は寝殿造りの邸宅でメインとなる寝殿を見ていきますね。
まず、寝殿を簡単に説明すると構造はこうなってます↓
真ん中の「母屋(もや)」のまわりを「廂(ひさし)」が囲み、さらにそのまわりを「簀子(すのこ)」が一周しています。
寝殿は基本的にその家の主人とその家族が暮らすプライベートなお部屋なので、母屋や廂に入れるのは親しい人だけ。
廂までが屋内という認識です。
なので、簀子は廂より一段低くなっていて、主に通路として使われました。
で、簀子は廂との境に御簾や几帳を挟んでお客さんが来た時の応接の場としても使われました。
平安時代の貴族の家についていた格子
で、驚くべきことに平安貴族の寝殿造りのこの家、
めちゃくちゃ開けっぴろげな家です。
かといって、それじゃあ雨風が吹いたら大変だし、夜の防犯はどうするんだ?ってねりますよね。
そこで、室内となる廂と屋外になる簀子の間には「格子(こうし)」がありました。
格子は窓と雨戸みたいな役割をします。
角材を立て横に組みせた横長の四角いもので、そこに板をはることもありました。
これを柱と柱の間にかけて使います。
上下に開く構造で、上から下まで一枚のものと、真ん中で上下に別れているものがありました。
上側だけ開けることもあれば、全部開けることもあります。
柱の間は約3mなので1つの格子がとても重いです。
なのでその家に住んでる貴族が自分であけることはなく、お勤めに来ている召使さんが開けてくれます。
と、言葉でいわれても現代人にはなかなか想像できないと思うんですけど、この映画を見ると一瞬だけど格子を開けるシーンが出てきますよ↓
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平安貴族の家の壁がわりの御簾
で、格子を全部開けてしまうと壁がなくなるのでスースーの開けっぴろげ状態です。
そこで活躍するのが平安貴族といえばこれ!というアイテム、「御簾(みす)」です。
この御簾をカーテンのように廂と簀子の間に垂らします。
御簾は葦や竹を編んで作られていて、色は青々としていたそう。
現代人からするとペラッペラのレースのカーテンくらいの心もとない日除けくらいな感覚。
なんですが、
平安時代の貴族にとってはこの薄くて透ける御簾一枚がものすごく重要な意味を持ってたんですよ。
というのも、平安時代の貴族の女性は人に顔を見られないように暮らしていたので、ほとんどこの御簾の中で暮らします。
だから、御簾の内側は超プライベート空間ということ。
御簾の中に入れるのは本当に親しい人だけです。
なので、平安男女の場合、男性が女性のいる御簾の中に入ったらもうそれだけで2人は特別な関係ってことになったそう。
御簾は格子を開けたところにもかけるし、部屋の中を仕切るのにも使われてます。
母屋の入り口になる妻戸
で、格子を全部開けていればどこにも壁がなくなるので室内に入ろうと思えばどこからでも入れます。
でも、夜や天気の悪い日は格子を閉めきっているので出入り口がなくなっちゃいますよね。
そんな時のために廂と簀子の間には「妻戸」という出入り口もありました。
妻戸は廂の東西側の北端と南端にあって、真ん中で別れている2枚の扉がついています。
壁のかわりに垂らす布
さらに室内とされる廂と母屋の間にも一応しきりを設けます。
といってもやっぱりこれも壁じゃない。
柱と柱の間に横木を通してそこに「壁代(かべしろ)」という仕切りのための幕をたらします。
平安貴族の家の母屋は広いワンフロア
で、寝殿のメインになるのが母屋です。
この母屋は建物の構造としては壁がほぼないだだっ広いワンフロアです。
ただ、丸い柱が3m間隔であちこちに立ってます。
イメージとしては大きなお寺の本堂に前後左右3mごとに柱が立ってる感じ。
基本は遮るものの何もないがらんとした部屋で、平安貴族たちはここを色々な家具で仕切って暮らしていました。
平安貴族の家で唯一壁のある部屋
そんな平安貴族の家の中で唯一、壁で囲まれた部屋があります。
それが「塗籠(ぬりごめ)」という部屋。
二間分を土壁で囲んだ部屋で、平安貴族の家の中ではとても神聖な場所とされてました。
なので、寝所にしたり、物怪を避けるために塗籠に籠ることもあったそう。
あと、木造建築の寝殿造りの中で唯一、土の壁に囲まれた部屋なので火事でも燃えにくいというメリットもありました。
そこで先祖代々の家宝なんかを唐櫃(からびつ)や厨子(ずし)にいれて置いておいたそうです。
平安貴族の家はフローリング
平安時代の貴族の邸宅の床は板張りで、今でいうフローリングみたいな感じです。
平安時代はまだ全面畳敷きじゃなかったんですよ。
なので、座る場所にだけ畳を置いたり、身分の高い人なんかはさらにその上に「茵(しとね)」という敷物を敷いて座ってたそうです。
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