平安時代の美女の特徴が現代と違いすぎるのはなぜ?
前回は平安時代の美人の特長について紹介しました↓
で、現代人の私としては当然のごとく、「なぜそれが美人なんだ?」という疑問がわいてくるわけです。
そこで、今回は平安時代の美人像が生まれた理由について考えてみました。
(今回は平安時代についていろいろ調べる中でわかったことを踏まえての私の想像でのお話です!)
平安時代の美人の特徴が今と全く違うのはなぜ?
平安美人の条件はいろいろありますが、今回考えたいのは顔立ちについてです。
前回もお話したとおり、平安時代の美人の特徴といえば
- 引き目(切れ長の小さな目)
- かぎ鼻
- 小さな口
- おもふく(しもぶくれ)
かぎ鼻は現代でも通用するかな、とも思うものの・・・
顔のパーツが大きく目鼻立ちくっきりが美人とされる現代人の感覚と比べると平安美人の特徴はちょっと違和感がありますよね。
それに、現代の美人といわれる人たちのご先祖様は縄文人の子孫だと思うので、当然、平安時代にもくっきり顔の日本人はいたはず。
なのに、平安時代の美女の条件にはかすってもいない。
ワーイ?
ヘイアンジャパニーズピーポー!?
щ(゚ロ゚щ)
ということで、私も平安時代のあれこれを調べながら考えてみました。
その結果、
私の中で導き出された「これなんじゃないか?」という答え、それが
平安時代の情報=貴族の情報
だからじゃないか、ということです。
今残っている平安時代に関する書物などはほとんどが平安時代の貴族にまつわる資料なんですね。
一方で、平安時代の庶民の暮らしや実態を知るための資料は乏しく、貴族たちが書き記した書物にちょこっとでてくるくらいだといいます。
つまり、一般的に「平安時代の○○」といわれるものはどれも「平安時代の貴族の○○」ということです。
なので、今私たちが「平安時代の美人の特徴」として文献などから拾っている情報は「平安時代の貴族の美人の特徴」ということになる。
だとすると・・・
私が思ったのは
平安貴族ってそういう顔立ちの人しかいなかったんじゃないか?
ということです。
平安時代の貴族の顔立ち
平安貴族の顔立ちを思わせる皇族のお顔立ち
日本で唯一?平安時代までしっかりとご先祖様をさかのぼれる人といえば・・・
はい、皇族の方々ですよね。
まさに皇族の方々のお顔立ちは平安絵巻のよう。
私たちがイメージする平安人の顔立ちです。
で、それってあながち間違ってないと思うんですよ。
というのも、
平安から現在に至るまで天皇になるほぼ全ての人が皇族か貴族(華族)としか結婚してこなかったからです。
民間から皇族にお嫁にいったのは今のところ美智子さま、雅子さま、紀子さまのたった3人だけ!
民間人が皇子と結婚するというのは本当に本当にごく最近のことで、それ以前は絶対に考えられませんでした。
で、平安時代はそれがものすごく顕著で、皇室の男子の結婚相手になるのは同じく皇室か上流貴族の女性だけ。
ものすごく狭い範囲で結婚相手を選んでいるので、いとこ同士や叔父と姪、叔母と甥など血縁関係のある人同士でもふつうに結婚してました。
なので、平安時代の皇族と上流貴族の相関図を作ったら・・・
ということで、同じような雰囲気のお顔立ちの人ばかりだったと考えても不思議ではないと思うんですよね。
もちろん、庶民の中には目鼻立ちくっきりの人もたくさんいたと思われます。
でも、
平安時代は貧富の差がものすごい上、かなり厳しく身分や階級を重んじる時代。
中流貴族が皇族と結婚するのもありえないくらいです。
さらに、仕事も世襲が多いから下流貴族が上流貴族になるのすら難しいので庶民が貴族になるなんてありえません。
だから庶民が貴族の世界に入り込むなんて考えられないし、もし庶民の間で目鼻立ちくっきりの女子が美人といわれていても貴族には全く響かない。
「美しさなんてわかるはずのない下々のもまで光源氏の美貌に感動して涙して」みたいに源氏物語の中でも庶民はかなり見下された言い方をされてますからね。
となると、
やっぱり平安美女の特徴ってその当時の貴族の人たちが良いと思った顔立ちだよな、と思うわけです。
で、そもそも美の基準って刷り込みみたいなもの。
圧倒的に偉い人やお金を持ってる有力者が「これが美しい」っていえば庶民も「そういうものだ」と影響されるんじゃないかなと。
今だって、「日本一セクシー!」とか「甘いマスクのイケメン!」とテレビや雑誌でさんざん取り上げられると最初はそう思ってなくてもだんだんと「そういうものかな」と思ってしまったりするじゃないですか。
平安時代の貴族の女性ならではの事情
ついでに、平安時代の美女の条件とされる「下ぶくれ」や「ぽっちゃりとした体型」については平安貴族の女子ならではの事情もあったのでは?と言われています。
平安時代はふくよかさは富の象徴
今から1,000年ほど前の平安時代はまだ農耕技術が発達してないので田植えをしても収穫できたのは半分いくかいかないかだったといわれています。
まだまだ食料を確保するのが難しい時代で、庶民は飢えでバッタバッタ命を落としていた時代です。
そんな平安時代にたんまり美味しい物を食べられたのは皇族と上流貴族だけ。
同じ貴族でも下流の身分の低い家だと日々の食べものにも困っていたといいます。
というわけで、食料がない時代の豊満な体つきは富の象徴です。
平安時代の貴族の女性はみんな病気がち
平安時代の貴族の女性はほとんど家からでることがありません。
しかもおっとり優雅に振舞うのが美しいとされていた時代なので家中をスタスタ歩き回ることもない。
ってか部屋の中では膝立ち歩き。
ということで平安女子はみんな運動不足です。
しかも身分が高くなればなるほど常に部屋の中にいます。
戸を開けていたとしてもほとんど几帳や御簾の陰に隠れているので日光にも当たらない。
お風呂にもあんまり入らないし、衛生面も整ってない。
食事も栄養が偏っている。
などなどの理由から平安時代の貴族の女性はみんな何かしら病気持ちだった、という説もあります。
その結果、嫌でも顔がむくんでしまうという。
でも、平安時代には運動不足とか医療とか栄養バランスとかそういう概念はほぼないので
だったのかなぁ?と思うわけです。
平安美女の条件ができた背景まとめ
そんなわけで、平安時代の美人の条件というのは
平安貴族は同じような顔立ちの人しかおらず、その狭い限られた世界でつくられた美の基準
なんじゃないか?というのが私の思うところです。
あと、もう1つ思うのは、日本人が思う美人の基準が明治以降くらいから急激に変化したんじゃないか?ってこと。
江戸時代の美人の条件を調べてみると平安時代と同じで「切れ長、かぎ鼻、ふっくらした頬」なんかが当てはまってるんですよね。
なので、西洋人をたくさんみるようになってから「あれ?ああいうのがキレイなんじゃね?」と思うようになったのかなぁ?なんて。
以上、私の勝手な考察でした。
ちなみに、平安美人が異様に見えるのは平安時代のお化粧にもかなり影響されてます↓
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