平安時代の暮らし

なんと!平安時代の女性の服装で十二単はたまにしか着なかった


【記事内に広告を含む場合があります。】

平安時代 女性 服装

平安時代の貴族の女性の服装といえばまず思い浮かべるのが十二単ですよね。

でも、本当にあんなかさ張る服を毎日着ていたのか?と疑問に思う私。

ということで、今回は平安時代の女性の服装のお話です。

平安時代の女性の服装が十二単って本当?

平安時代の女性のイラストを見るとほとんどの絵が「十二単(じゅうにひとえ)」を着ていますよね。

平安絵巻を見てみても貴族の女性たちはみんな綺麗な着物を何枚も重ねた裾の長い衣装を着ています。

だから、「そうか、平安時代の女性の服は十二単なのね」と思いがち。

なんですが、私はそれを疑問に思う、

本当にあんな服を毎日着ていたのだろうか?

平安貴族の女性の暮らし方とか体力とか、そういうものを知れば知るほど「十二単を毎日着ていた」なんていう情報は怪しい・・・

ということで、平安女性の服をあれこれ調べてみると、やっぱりね!という平安女子の装いがわかりました。

平安時代の貴族の女性の服装ができるまで

まずそもそもの話なんですが、平安時代といわれる期間の中だけ見ても女性の服装には大きな変化があったんです!

私たちは何気なく「平安時代」と言っているんですけど、よくよく考えてみると平安時代とよばれる時代は期間にすると実に400年!

現代から400年遡ったら江戸時代ですからね。

そんなわけで、400年もあれば同じ平安時代というくくりの中でも当然いろいろなものが移り変わるわけです。

その一つが平安時代の貴族の服装でした。

「なくよ鶯、平安京!」で有名な平安京に都が移り平安時代が始まったとされる平安初期の頃、

その頃は男女ともにまだ私たちがイメージするような平安時代の装束ではありませんでした。

じゃあどんな格好をしていたのか?というと、

唐の影響を受けた服を着てました。

ざっくりイメージでいうと高貴な女性はこんな感じ

奈良時代 女性 服装

奈良時代は唐文化の時代で、高貴な人たちの服装は唐の影響をバリバリに受けた唐衣が当たり前だったし、髪も結い上げてました。

で、都が平安京に移ってから100年くらいの平安初期はまだまだ奈良時代のような服がそのまま残っていたそうです。

じゃあ十二単のような私たちがイメージする平安の服はいつからできたんだ?というと十世紀の後半くらい。

平安時代の中ごろには十二単や貴族男子の「直衣(のうし)」などができていたといわれています。

ではその間に何があったのか?

大きな出来事としては遣唐使を廃止しことなどです。

それまでの唐の文化や制度を取り入れて、唐の文化にならうのが素晴らしい!としていたのをやめました。

そのおかげで日本独自の文化が栄えるようになったんです。

これが歴史の教科書に出てきた「国風文化」ってやつ!

服装も日本の貴族の美意識や感性に沿った服になりました。

実用面でも椅子に座って生活する唐の様式から畳に座る日本の生活様式にあうようにかわっていきました。

特に、平安貴族の女性は家の中でさえあまり歩くことがなく、一日をほとんど座って過ごします。

なので、その姿が映えるようにゆったりとした仕立てで優雅さや格式の高さが感じられるような衣装になりました。

そして、日本の四季を着物の色のかさねで表現するなど美しさの感性も日本風になり、着こなしなどで品位を競ったりしてました。

平安時代の女性の衣装は十二単だけじゃない

そんなわけで、今、平安時代の女性の服装としてイメージされる十二単は平安時代の中ごろくらいからの服というわけです。

さらに平安時代末期にかけてもマイナーチェンジというか、微妙に着こなしなどが変わっています。

あと、奈良時代の唐風の服から十二単になるまでの平安初期の記録はあまり残っていないそうで、詳しい服装の変遷もまだわからないんだそう。

求む、タイムマシーン!

ところで、十二単という装束が成立してからの時代、平安貴族の女子たちが毎日それを着ていたか、というと

当然そんなわけはない!

知れば知るほど十二単って本っっっ当に大変!

いくら座ってるだけだからって毎日あんなの着てたらやってられん。

というわけで、十二単の詳しい構造や着る時の苦労についてはこちらにまとめました

実は十二単は平安時代の貴族の女性の正装です。

つまりドレスアップした格好。

なので、普段着となる平安時代の女性の平常服は他にありました。

基本の構成や着るものは十二単とかわらないですが、つけるアイテムや布地、重ねる枚数なんかに違いがありました。

平安時代の女性のふだん着についてはこちらにまとめてます

()

さらに、平安時代の貴族の女性だって外出することがあります。

本当に本当に高貴な方たちはずっと車に乗っていくこともあったろうけど、貴族の中にもいろいろレベルがありますから。

さらに祈祷なんかにいく時は歩いていったほうがご利益が高まると思われてたりしたらしい。

そんなわけで自分で歩くことがあるような人は外出時に平安時代の女性の旅装束を身につけてました

()

あ、あとですね、十二単が平安時代の最上級のドレスアップと思ってる人も多いと思うんですが・・・

さらに上があるんです、それが

裙帯比礼物具装束(くんたいひれのもののぐしょうぞく)」

うん、もはや読めない。

なんでも、十二単を着なきゃいけない正装の催しよりさらに厳かな儀式なんかに臨むときに着る服だそうです。

十二単を基本として、そこにさらに「裙帯(くんたい)」という裳の左右に飾りとして垂らした紐や、「領巾(比礼)(ひれ)」という肩にかける細長く薄い布をつけたりしました。

奈良時代の「礼服(らいふく)」の形を残したもので、髪も一部を結い上げて宝冠をつけます。

平安時代の公家など身分の高い女性たちの正装の服装のことを「女房装束(にょうぼうしょうぞく)」といいました。

平安時代の女性の着物まとめ

そんなわけで、平安時代の女性は十二単以外にもいろいろな服を着てました。

っていうかそもそも平安時代は「十二単」って言わなかったっていうね。

私もそうだったけど実はそのあたり、全然わかってない現代人は多いと思います。

じゃあ、十二単は平安時代はなんて呼ばれてたのか?についてはこちらをどうぞ


コメントフォーム

名前  (必須)

メールアドレス (公開されません) (必須)

コメント

ブログ内の検索
プロフィール

小町です
子どもの頃から「平安美人」と言われ続けてきた私が自分なりに調べたり、足を運んだり、体験してみたりしてわかった平安時代のあれこれを綴ってます
詳しい自己紹介はこちら⇒

カテゴリー
人気記事
最近の投稿
メタ情報